Profile

中田 暖人(なかた はると)
24才、青森県むつ市出身、筋骨隆々、メガネがトレードマークの男です!
現在はフリーのビデオグラファーとして、主に沖縄で活動をしています。
「日本全国の映像」を作るのが当面の目標です!
映像制作・写真をメインに様々な「クリエイティブ」を追及して生きています。
経歴

- アスペルガー症候群
- 中卒で家を出る
- 地下格闘技時代
- リゾートバイトを通し「日本全国を旅する」
- リゾートバイトのブログで「SEO1位を量産」
- 大手広告会社へ転職
- 与論島に移住し「牛舎をリノベーション」
- 起業失敗
- フリーの「ビデオグラファーとして活動」
色々と省いたつもりなんですが、なんかゴチャゴチャした経歴になっていますね‥笑。
ざっくりいうと‥。
16才の頃に家を出てから、長い年月をかけて「自分の方向性」を見つけることができた感じです。
「何か」が分からなかった。
正直に言ってしまいますが、21才までは目指す場所が分からなくて、とにかく動いて「何かを吸収」しようとしてました。
それなりに、いろんな人にも出会いましたし、いろんな職も経験したので、今となってはマイナスとは思ってませんが、当時は本当に焦ってましたね。
「何かしなきゃ」
その「何か」が分からなかったでした。
「何か」を探して、もがいた結果‥。
- アスペルガー症候群
- 中卒労働者
- ハードワークで鬱になりかける
- 起業失敗
- その日の食べるものがないくらい困窮
など、数多くの後悔・失敗・劣等感を経験。
「人生のどん底」
と感じるような出来事を乗り越えたら、さらに強烈な波が来るのが、ほんとうに辛い‥笑。
人生ってなかなか上手くいかないですね‥。
ただ、今はその経験すべてが「現在の自分を形成」しているのだと思うことができています。
後悔もなくはないけど、これで良いかな。
自分の行動に「後悔していない」と言うと、それはきっと嘘になってしまいますが、なんやかんやこの人生で良かったです。
この人生だからこそ、出会えた人がいますし「自分のしたいこと」を見つけることができました。
ということで、これ以上は長くなってしまうので、一旦終わりにします!
近いうちに、個別の記事でも書いてみる予定です。
ここからは、僕の人生を少しづつ深掘りしていこうと思います。
かなりのボリュームになっているので、本当に興味がある方だけご覧ください!
目次で、興味があるとこに飛んでもらうのもOKですよ。
1、アスペルガー症候群
まずは、中田 暖人を語る上で外せない要素を語ります。
僕は幼少期に「アスペルガー症候群」という診断を受けました。
興味のあることだけに異様なほど集中してしまうため、コミュニケーションが苦手・集団行動ができないというのが、アスペルガー症候群の特徴です。
では、僕の幼少期はどうだったのか?
虫が好きすぎて不登校
はい、まさにアスペルガーの特徴ですね‥笑。
昆虫が異様に好きで数10種類の虫を常に飼ってました。
特にカマキリが好きだったのを覚えています。
きっと周りの大人も、そんな僕を見かねて検査を受けさせたんでしょうね‥。
他と違うことが恥ずかしかった。
「自分は病気なんだ」
そう思うと、クラスメイトなどが一気に遠い存在に感じました。
とにかく、自分が「他と違う」ことが恥ずかしくて仕方なかったです。
アスペルガーは学力などにはあまり影響がなく、むしろ知能が高くなる傾向があります。
僕の場合は、IQテストで138という平均より高い数値が出ました。
なので、周りと比べても勉強ができないわけでもなかったので、他と何が違うのか理解できませんでしたね。
少しづつ受け入れていく。
ある時、自立支援施設という場所に入ることになりました。
この部分は、別の記事で詳しく書いてますので、興味があれば読んでみてください!
その施設で、出会った先生のおかげで、アスペルガーである自分を受け入れることができ、人との関わり方を覚えていきました。
施設時代は、僕の大きなターニングポイントになっています。
本当に感謝です。
現在の僕は‥?
おそらく、僕と関わっている方は、僕がアスペルガー症候群だと気づいていない方が多いと思います。
それくらい目立たなくなりましたし、コミュニケーションは得意な方です。
とはいえ、自分では「やっぱりアスペルガーなんだな」と思う瞬間がけっこうあります。
例えば、映像制作とかですね笑。
一度、興味を持ってしまったら、一気にのめり込んでしまいます。
ただ、これは僕にとっての大きなメリットだと思っていますね。
常人より集中できるので、吸収スピードがめちゃくちゃ早いです。
「好きこそ物の上手なれ」
とはよく言ったものですね。
こんな感じで、今の僕にとってアスペルガーはハンデではなくなってます。
2、中卒で家を出る
親との関係性が大きな理由で、16才の時に家を出ました。
高校1年生が終わった頃ですね。
家を出て、携帯もお金もない状態から宮城県仙台市でなんとか生き抜きました。
母親との相性が悪かった。
僕の父親は、3回ほど結婚をしています。
なので、僕には複数のお母さんが存在しました。
離婚と再婚を繰り返した結果、時には施設に入ったり、兄弟ができた時があります。